水仙の花の咲く頃に
2014-02-14


先日、ささくれだった心を癒すため、お花を買って帰宅。
スイートピーにヒヤシンス、そして水仙を。
本当は水仙ばかりの花束にしたかったのですが、お高いし、何よりもそれだけの数の水仙がありませんでした。

水仙の花が咲く頃、kinakoには思い出す男の子がいます。
それはある日、突然何の脈絡もなく、鮮明に男の子の顔が思い出されるのです。

20年近く前、
kinakoの通勤路に小さな古いお家がありました。
そのお家は道路に面していて…いわゆる、その気になれば中が丸見え…というお家でした。
住んでいたのは4歳くらいの男の子とお母さん。
男の子は4歳にしては背も低くとても痩せていました。
それでも表情は愛らしくて子どもらしさを失っていない子でした。
ただ、その子の顔はいつも汚れていて、着ているお洋服も汚れていました。
寒い冬でも薄着。
靴下を履いているのを見たことがありません。

すれ違う時の男の子は特段大人に怯えることもなく、ごく普通の子どもでした。

しばしばお母さんと思われる人の子どもを叱る声が通勤路に響きます。
他人からすると、ヒステリックにさえ思える叱り声でした。
それでも男の子の泣き声聞こえず…。
時々すれ違う時の二人は、
男の子は楽しそうにお母さんの後をスキップして歩き、
お母さんの手は決して男の子の手を握ることはなく、
それでも男の子は嬉しそうに、懸命にお母さんの後を追って歩いていました。

ある日、男の子とお母さんが手を繋いで歩いてお家に帰るところに出会しました。
男の子は、それはそれは嬉しそうな顔をしていました。
kinakoが目にした中で、一番嬉しそうな笑顔。
手には小さな水仙の鉢植え。
でも、相変わらず顔も衣服も汚れていました。

男の子の家の前に、枯れた幾つかの鉢とともに水仙の鉢が置かれました。
男の子が水やりを欠かさないのか、水仙は枯れることなくしばらくkinakoの目を楽しませてくれました。

相変わらずお母さんの叱る声は聞こえてきました。

ある日、お家の前を通ると、窓は開け放たれ、お引越しをされたのかガランとしていました。
枯れた鉢は片付けられ、花の終わった水仙の鉢だけが残っていました。

あの時の男の子は夢を育む大人になったでしょうか?
20歳過ぎの青年になっているはずです。

道端に水仙がひっそりと咲く頃になると、毎年、突然脈絡なくあの痩せっぽちの男の子のことが思い出されます。
4歳のままで、
汚れた顔、でも、どこか愛らしい表情で、
汚れたお洋服を着ていて、
真冬でもとても薄着だった、
素足で靴を履いていた男の子。

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